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フィンランドから鎌倉へ。暮らし、旅、映画にまつわる日々のメモ

36. 『永い言い訳』横浜ブルク

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いつだったか、映画のパンフレットかなにかで西川美和監督のインタビューを読んだとき、「嘘」に興味がある、というような内容のことが書かれていて、ものすごく印象的だったのを覚えています。
 
人が嘘をつくときには、何かしらのドラマがある。
だから、嘘をテーマにした映画を撮るのだと。
 
嘘はきらい、とかんたんに人は言うけれど、
ちいさな嘘のひとつ、ふたつもつかずに、暮らしていくこともなかなかむずかしい。
 
外国の友だちに、日本人の”建前”はきらいだと言われると、ほんとうにそのとおりで、めんどくさい文化だなと思いながらも、少なからずの建前(ちいさな噓)を、わたしもふだんあまり意識もせずに使ってしまっているのだと思います。
 
じゃあ、嘘をつくときって、どんなときなんだろう。
どうして嘘をつかなくてはいけなかったんだろう。嘘をつくことって、そんなに悪いことなの?
 
『蛇苺』からはじまり、『ゆれる』『 ディアドクター』『夢売るふたり』と、これまでさまざまな人生の”わけある嘘”と、それをめぐる人間の心模様を描いてきた西川美和監督。最新作の『永い言い訳』もまた、嘘とは何か、真実とは何か、を問う類の作品です。
 
ある日突然亡くなった人が、
悲しみも、感謝も、すなおに感情表現ができないほど、
複雑に絡まって、やりきれない想いが残る相手だったなら…。
 
もっくんの演技が、表情が、とにかく心に染みました。
深津絵里さんも、年を重ねるごとに深みが増して、美しい人だなとあらためて思いました。
 
遺されたものどうしで育まれていく絆が
けっして大袈裟ではなく、ただそこにあるものとして映し出されていて、
不器用ながらに、わずかな希望もあるような、
そんな誠実な描き方にとても好感をもちました。
 
西川美和さん。
今いちばん新作が待ち遠しい監督のひとりです。

35. 長崎で出会った、船旅のフランス人夫婦のはなし

夏に長崎の小値賀島を旅したとき、
日帰りでおとずれた野崎島という小さな無人の島で、
船旅をしているフランス人のカップルに出会いました。
 
野崎の港にフランスの国旗がついている船がとまっていて、
興味をもった彼がまっさきに話しかけにいったのです。
 
彼らは50代で、子育ても終えて、あるとき決意をして仕事をやめて、自家用ボートを買い、3年前に南フランスのトゥールーズを出発して船旅に出たそうです。
まずは大西洋を横断して、カリブ諸国を旅し、はるばる太平洋をわたり、ニュージーランドインドネシアシンガポール、タイ…とオセアニアや東南アジアをとおって、海の景色や陸の景色、異国の人たちとの交流を楽しみながら、その後、沖縄、九州と北上してきたところでした。
 
自家用のボートで、船の旅。それも3年目…!
はじめその話を聞いたとき、そんなことってできるのかな?と、あたまにハテナがたくさん浮かび、映画を見すぎのわたしは、海賊におそわれたり、どこかの国家機関に怪しまれたりはしないか、おっかなびっくりでした。
 
寒い冬のあいだはボートを港に泊めて、フランスに帰って過ごしているそうで、
ちょうど帰国前のタイミングで東京に来ていたので、夕ごはんを一緒に食べることに。
 
「海賊はいないの?海はあぶなくないの?」
わたしが思わず子どものような質問をすると、
奥さんのステファニーはやさしい表情で肩をすくめながら、
 
「フィリピンより南は通らないようにしているし、海賊のいない海を選んでいるわ。それよりも、天気の方が心配。ハリケーンやストームは避けるようにしているけど、恐ろしいわね。」と答えてくれました。
 
太平洋をわたるときは、寝ても覚めても海の上。
3週間ちかく、お互いの顔しか見ないときもあるのだそう。
 
これ以上にないくらい、きっと一生に一度の機会で、
だれでも真似ができるわけではない、なんてすてきな冒険だろうと、彼らの選択に敬意を感じました。
 
コンサルタントをしていたご主人と、ファイナンシャルプランナーの奥さん。
すこし意外なことに、もともとはバリバリのビジネスマンだったのですね。
 
20代のお子さんが2人いて、もう子どもも大きくなったから、
自分たちのやりたいことをしようと、旅に出たそうです。
 
自然が好きで、芸術が好きで、食べることが好きで、好奇心旺盛。
まさにフランス人らしい趣向のおふたりですが、とくに印象的だったのが、おとずれる国ひとつひとつに、ものすごく関心をもって、人の暮らしや歴史、文化をじっくりと観察しようとする姿勢でした。
 
日本人はどう思ってるのか?
きみたちはどう感じてるの?
 
するどい質問を投げかけられて、はっきりとした答えを自分のなかで見つけることができず、わたしはすこし情けない思いをしました。
それでも、ちゃんと日本のことを見てくれようとしている人たちがいることはとってもありがたいことです。
 
50代になってから、人生をかけた旅にでる。
またひとつ、すてきな大人の夢に出会いました。

 

34. 『グッバイ、サマー』横浜ジャック&ベティ

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鎌倉に引っ越してからというもの、すっかり映画館に見に行く頻度が減ってしまって、大好きな渋谷のユーロスペース下高井戸シネマ、新宿の武蔵野館や早稲田松竹なども、しばらくご無沙汰してしまっています。
 
そんななか、ミシェル・ゴンドリーの新作が自伝的青春映画で、
しかも横浜のジャック&ベティで上映すると知って、久々に映画館に見に行きました。 
 
最近ではすっかり指定席の事前予約制があたり前となっているなか、
自由席で番号順の入場という、昔ながらのスタイルを続けている映画館も久しぶりで、昔もぎりをしていた恵比寿の映画館をなつかしく思い出しました。
それにしても、初めて来る黄金町。ピンク色のお店がいっぱいで、ちょっと慣れない社会科見学のような気分でした。
 
グッバイ、サマー。
子ヤギのようにかわいらしく、女の子によく間違えられる、絵の上手なダニエルと、機械オタクで、一匹狼、風変わりな転校生のテオ。クラスのはみ出し者の2人が意気投合して、手作りのログハウスカーでひと夏の冒険を繰り広げるストーリー。
 
ミシェル・ゴンドリー監督の映画はいつだって、遊びごころがいっぱいです。
仕掛け絵本のなかに迷い込んでいるみたい。
頭のなかにはどんなファンタジックな世界が広がっているんだろうとのぞいてみたくなるほど、見ているこちらにも、その魔法をおすそ分けしてくれます。
 
この人は、ほんとうに映像制作やものづくり、絵づくりが大好きなんだろうなぁと、見るたびに感心してしまうのです。
 
14歳。おとなになると、思春期とか反抗期とか、甘酸っぱい思い出として語られるお年頃だけれど、わたしのなかには、まだ彼らと同じ年のわたしがいる。
気の向くまま、わくわくする方ばかりを選んでしまって、いつも夢をいっぱい背負って、先のことばかり妄想しているわたし。
 
10年後も、この映画をみて、14歳に戻れる自分でありたいな。

33. 『キネマの神様』原田マハ

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原田マハさんの本をはじめて読みました。
「映画の仕事をしてる、あゆみという名前の主人公のおはなし。まぁ、読んでみて。」とすすめられて、手にとった本です。
 
中学生のころから映画が好きで、
年に何百本というほど、数でいったら、とても自慢できるほどではないけれど、
いろんな国の、いろんな映画を見て、こころのなかに
たくさんのちいさな宝物として、のこしていきました。
 
わたしにとって、映画は、自分の行ったことのない、
世界中のいろんな国のことを教えてくれるもの。
自分と世界をつなげてくれるもの。
いつだって、思っている以上に、自分の知らない世界は広がっていて、
いろんな人生がある。
そのことに、いつも勇気づけられてきました。
 
映画館でもぎりのアルバイトをしたこともありました。
映画館でスクリーンの向こうの世界にいってしまえるほど、
どっぷり浸かる時間は、いつだってものすごくしあわせで、
学生の頃は、平日の朝のがらがらの映画館でドまんなかに座って、
まるで映画館を独り占めしているかのような、大きなきもちになるのが好きでした。
 
大きいスクリーンで、迫力満点の映画をだれかと見るのも楽しいけれど、
個性のある、街の映画館は、何倍も愛おしい。
 
だから、大好き映画館が閉まることになったときには、
ものすごくショックで、最終上映日にもかけつけて、
館長さんのあいさつに涙しながら見届けることもありました。
 
原田マハさんの小説は、まるでそんなすこし前の自分をふり返っているようで、
しばしのあいだ、映画との幸福な思い出に浸る贅沢をいただきました。
 
映画館には、キネマの神様が、きっといる。
わたしもそう信じているひとりです。

32. 小値賀の旅

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長崎の佐世保からフェリーで1時間。
五島列島の北部に位置するところにある、東シナ海に浮かぶ小値賀島(おぢかじま)。
人口3000人ほどの小さな島に、海の日の連休に行ってきました。
 
「あゆちゃん、今度この島に行ってみようか。」
ある日突然、島の観光サイトとともに、彼から送られてきたメール。
 
何やら、島の人たちのお家で暮らしを体験できる民泊が大人気で、アメリカの高校生の修学旅行先になっていた時期もあったほど。
IターンやUターンで、帰省したり移住をする若者も少なくなく、このご時世なのに、出生率も2桁だというのです。
 
若い人たちが増えてきて、観光などにも島をあげて力を入れているので、
Webサイトもなかなかおしゃれ。
http://ojikajima.jp/
 
古民家にも泊まれますが、せっかくなのでわたしたちは2泊とも民泊を利用することに。民泊の手配は、島の観光協会をとおして行われます。
さらに、泊まるお家によって、漁業体験や島のお料理づくりなど、小値賀のおじちゃんやおばちゃんと一緒に、島の暮らしを体験することができるのです。
 
わたしたちが泊まったのは、1日目は精米所を営んでいるご夫婦のお宅、
そして、2日目は漁師さんのお宅にお世話になりました。
どちらも、長く民泊をされてきたベテランさんのご家庭で、
畑いじりをしたり、夕ごはんづくりをお手伝いしたり、アジ釣りをしたり、車で島を案内してもらったり、ほんとうによくしてもらいました。
 
びっくりしたのは、この島の自給自足ぶり!
新鮮なお魚のお刺身や天ぷら、お手製のつくねにフライなど、
食べきれないほどのごちそうを、「いつもどおりの夕食でね」とてきぱき準備をしてくれたお母さん。
 
買ったものはほとんどないのだそう。
お野菜は、畑でとってきたものか、友だちにもらったもので、お魚も釣ってきたものだとおっしゃっていて、自給自足で暮らしている人たちをはじめて目の当たりにしたわたしは、おどろきと感動でいっぱいでした。
 
食事の後は、民泊の歴史もいろいろとお話をしてくれて、もともとは、遣唐使のころあたりから、外国から日本にくる船が、食料調達などの中継地点として小値賀に立ち寄ったのだそう。なので、よそからくる人たちを温かく受け入れる土壌が、昔からこの島にはあったのだそうです。
 
たしかに、外国人観光客もよく見かけたし、島の人たちは旅行客にも慣れているようで、いい意味で、風通しのよさを感じる島でした。
 
印象的だったのは、2日目におじゃまさせていただいた民泊のお母さんの言葉。
「民泊をしてよかったのは、小値賀の人たちが「この島はよかとこね」と気づけたこと。それがいちばんしあわせなことだし、いいことよね。」
 
その言葉には、島のことをあまり知らないわたしが聞いても、
ほんとうにぐっとくる、深みのあるひとことでした。
 
住んでいる土地に愛着をもつこと。
住人に愛されている街に暮らすことのきもちよさ。
これは、フィンランドの暮らしや、今住んでいる鎌倉の人たちを見ていても、強く感じていたことで、東京に生まれ育ったわたしが、ずっとうらやましく思っていたものでした。
 
日本の長崎の片隅で、
こんなに人間の営みのきほんてきな部分だけで、
ていねいな暮らしをしている島があるだなんて。
 
日本の宝物だなと思いました。